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1 | どこへ向かう、低空飛行日本 | 低空飛行中 日本該何去何從 |
2 | 希望が持てない社会という言葉で日本を語るようになったのは、いつ頃からだろう。 | 不知何時,日本似乎已被形容成不抱著任何希望的社會了。 |
3 | 経済成長率は年々縮小し、2010年には名目GDPベースで隣国中国に追い抜かれ世界2位から3位に転落した。 | 經濟成長率年年降低,在2010年的GDP排名已被中國超越,而從世界第二落到第三。 |
4 | 雇用環境の悪化が問題視され、所得格差は拡大し続けている。 | 就業環境惡化成為問題,同時貧富差距仍然持續擴大。 |
5 | また、家庭、地域、職場といった場での関係性の希薄化も指摘されている。 | 不僅如此,也有人指出人們本應於家庭、地區、職場等環境中建立的關係,正逐漸變得薄弱。 |
6 | 例えば、2007年の国民生活白書ではそれぞれの場で生じる問題点に言及し対策を模索しているが、現段階でもそれを補完する社会制度やコミュニティが機能していないことは、造語や新語にも表れている。 | 例如,2007年的國民生活白皮書便曾試圖提出人們於各種場域所產生的問題,及尋找其對策。 |
7 | 孤立する人が増える社会「無縁社会」や、関係性希薄化の理由を自身のコミュニケーション能力の欠如ととらえる「コミュ障(コミュニケーション障害の略)」といったものだ。 | 社會上甚至出現的新的詞彙,來形容此孤獨的狀態,例如「無緣社會(無縁社会)」是形容社會上孤立生活的人逐漸增加,或稱因為自身缺少溝通能力,而導致人際關係薄弱之人為「溝障(コミュ障)」(溝通障礙/コミュニケーション障害的省略語)等。 |
8 | 先行き不透明感がいや増すなか、2012年12月には政権が交代し、今後大きな変化が予期される2013年の日本。 | 除了未來變得更加看不透外,日本政府於2012年12月政黨輪替,預期2013年的日本將會有巨大的變化。 |
9 | 以下に一部転載するDr. Keiのブログは、希望を見出す足がかりを提案している。 | 以下為節錄Dr. |
10 | それは誰もが持つ事ができる「ある感覚」だ。 | Kei網誌的文章,文旨乃為提供一個發現希望的踏腳台,那就是無論誰都能夠擁有的「某種感覺」。 |
11 | 全文はこちらから。 | 全文請參照原出處。 |
12 | 日本はどこに向かおうとしているのか。 | 還活著就好──低空飛行的日本── |
13 | 日本人はどこを、何を目指して生きていくのか。 | 日本應該要朝什麼方向前進呢? |
14 | 昨年は、そんなことを何度も問われる一年だった気がする 暮れの選挙も、そんな今の苦しい日本の状況を羅列的に映し出しているようだった。 | 日本人在哪裡、為了什麼而活下去呢? |
15 | その中で、一際強調されたのが、「強い日本を取り戻そう」、という言葉だった。 | 我發現,去年這樣的問題不知被問了多少次。 |
16 | 「強い日本」。。。 | 年末的選舉,也像是將正處於痛苦中的日本的各種狀況逐一播放出來般。 |
17 | 強い時代が日本にはかつてあった。 | 其中特別被強調的,就是「取回強大的日本吧」這句話。 |
18 | 世界で「ナンバーワン」と呼ばれて、浮ついた時代があった。 | 何謂「強大的日本」… |
19 | 技術立国で、世界中が「メイドインジャパン」に沸いた(?) | 日本確實有過身為強大日本的時代,被全世界稱為「No. |
20 | 時代があった。「 | 1」,意氣風發的時代。 |
21 | ウォークマン」は世界中に跋扈(注:ばっこ)した。「 原子力」という新しいエネルギー資源の開発のために、原発が膨大に作られた。 | 日本曾經以技術立國,全世界都為「Made in Japan」著迷,「Walkman」橫行全球,並且為了開發「核能」此種新能源,而大幅運用核能發電。 |
22 | 日本は、かつて強かった。 | 日本確實曾經很強大。 |
23 | けれど、日本人は、もともと「勝ち続けることはない」、「強者で居続けることはない」ということもよく知っている。「 | 但是,日本人本來就很了解「不會一直贏下去」、「強者不可能一直是強者」。 |
24 | 強い」ことを目指すは自由だが、その根底において、すべては無常であり、栄えたものが恒常的に栄え続けるということはない、すべては流転する、と。 | 追求「強大」當然是一種自由,但在那根底深處,卻是萬事變幻無常、繁榮不會持續、萬物總是流轉變化的想法。 |
25 | そういう考え方を好むのもまた日本の風土であると思う。 | 有上述這種想法也是日本文化的一部分。 |
26 | 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 | 祇園精舍的鐘磬,敲出人生無常的響聲;娑羅雙樹的花色,顯示盛極必衰的道理。 |
27 | 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし | 驕奢者不久長,猶似春夢;強梁者必消逝,恰如輕塵。 |
28 | たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ | ──典出日本文學《平家物語》,此處引用周作人版翻譯 |
29 | イメージ画像提供: FlickrユーザーFireWaterSun Media(CC BY-NC-SA 2.0) | 照片來自:Flicker User FireWaterSun Media(CC BY-NC-SA 2.0) |
30 | 僕らは、世界の中で「強い国」であり続けなければならないのか。 | 我們非得要一直當世界上的「強國」不可嗎? |
31 | 僕らは、さらにもっと上を目指さなければならないのか。 | 我們非得要一直以前進向上為目標不可嗎? |
32 | 原発先進国をさらに歩まなければならないのか。 | 非得以核能發電先進國家的身分繼續發展不可嗎? |
33 | もっと「成長」しなけれればならないのか。 | 非得繼續「成長」不可嗎? |
34 | 5さらに「公共事業」を行い、道路を作らなければならないのか。 | 非得建造更多「公共建設」、開闢更多道路不可嗎? |
35 | 今以上の生活を求めなければならないのか。 | 非得追求比現在更好的生活不可嗎? |
36 | たしかに、「もっと上へ!」 | 確實,「繼續向上!」 |
37 | という勢いは必要だろう。 | 的氣勢是必要的。 |
38 | かくいう僕も、「もっと上へ!」 | 我也是每天以想著「繼續向上!」 |
39 | って思って日々生きているわけで、「上へ!」 | 而活著,我認為我們絕不能否定「向上!」 |
40 | というパワーは決して否定されてはならないものだとは思う。 | 的能量。 |
41 | それに、「もっと強くなりたい」、「もっと富みたい」という人の自由を誰かが奪うこともしてはならない。 | 再者,「想再變強」、「想再變富有」的自由也不應被任何人奪走。 |
42 | 誰もがその可能性をもっている。 誰もが強くなれる可能性や富める可能性をもっているし、それを求めることは、人間的には自然なことである。 | 每個人都有機會,每個人都有變強、變富有的可能性,因此努力去追求也是自然的人性。 |
43 | ただ、今の日本全体を眺めると、「もっと上へ!」 | 但是,綜觀現在日本的狀況,我認為無論是說不出「繼續向上!」 |
44 | なんて言えない人や、「上」を放棄した人や、そもそもそういう発想自体をもっていない人たちがかつて以上に増えているように思う。「 現状維持」か、「低空飛行」か、あるいは「沈没」か。 | 的人,或是放棄「向上」的人,或是一開始就沒想過要向上的人,都會繼續增加,他們選擇「維持現狀」、或是「低空飛行」、又或是「沉沒」。 |
45 | もう上に向かう力も精神も残されていない人たち。「 貧しくても、いつかは報われるから頑張る」じゃなくて、「貧しくて、報われないから、もうダメだ」、という人たち。 | 已經沒有向上精神力的人們並不認為「雖然窮,但有一天一定會有回報所以繼續努力」,而是認為「很窮、也得不到回報,所以已經不行了」。 |
46 | 「強い日本」を目指すのは自由だが、日本に住む日本人を見ていると、もうとっくに日本人は弱っているように思う。 もちろん強い人はいる。 | 將「強大的日本」當做目標確實是一種自由,但看看住在日本的日本人,會認為日本人早已不再強大了吧。 |
47 | でも、俯瞰して見ると、かつて以上に多くの日本人が弱って、身動きさえ取れなくて、悲鳴を上げているようにしかみえない。 | 當然強人也存在,但是若從俯瞰的角度,就只能看到更多的日本人已變得疲弱了,困於涸轍,陣陣哀號著。 |
48 | …これからますます日本は低迷していくだろう。 | [中略] |
49 | これは誰もが感じていることだ。 | ……在此之後日本仍會持續陷於低潮吧,不論誰都會這麼覺得。 |
50 | 強い日本を目ざしたところで、増えていくのは、リアルには「国債」ばかりで、泥沼から抜け出すことは、きっと僕らが生きている間は無理だろう。 | 在以強大的日本為目標的同時,現實中增加的只有「國債」而已,在我們還活著的時候應該無法脫離這個泥沼吧,因為我們將要迎接全世界史無前例的「超高齡社會」,一個恐怕誰也不曾經驗過的時代。 |
51 | 世界でも類をみないほどの「HYPER高齢社会」を迎え、誰も経験したことのないような時代を迎えるのだから。 | 在這之中,我們必須將目光投向所謂生存的根本,那並非「過度的豪華」,而是連要「一點點豪華」都很困難的時代,我們必須要有別於「奢侈」的價值觀。 |
52 | その中で、僕らはもっと生きる根底に目を向ける必要がある。「 | 追根究柢,那應該就是「名為活著的現實」吧。 |
53 | 過度な贅沢」どころじゃない。「 | 還活著的話,那就好了。 |
54 | ちょっとした贅沢」も難しい時代だからこそ、奢侈(ぜいたく)とは別の価値基準をもつ必要がある。 | 活著,眼前有食物,光是這樣就能得到滿足,不就是此時必要之物嗎。 |
55 | その究極が、「生きているというそのリアル」だろう。 生きていれば、それでいい。 | Joy的圖樣,照片來自:Flickr user ooberayhay. |
56 | 生きている、そして目下、食べるものがある。 それで満足できる感性が今こそ必要なのではないか。 | (CC BY-NC-ND 2.0) |
57 | Flickrユーザーooberayhayによる イメージ画像 “Joy” (CC BY-NC-ND 2.0) | 有家人、身邊有著人、有喜歡的音樂、有食物可吃、有地方可住、有衣服可穿,這樣就能覺得幸福,這就是日常的生活。 |
58 | 家族がいる。 誰かがそばにいる。 | 總之先去過每天的生活,去感受幸福的感性,幸福的人,不管是富裕也好貧困也好,一定是有這種感性的人。 |
59 | 好きな音楽がある。 食べるものがある。 | 不幸的人,不管富裕也好貧困也好,都是感受不到活著的幸福的人(感覺到的是「不足」、「欠缺」和「劣等感」)。 |
60 | 住むところがとりあえずある。 服が着られる。 | 這種感性,學校教育是教不出來的,這是家庭課題,也是在你我身邊的課題。 |
61 | それに幸せを感じられるセンスだ。 | 這個世界,現在仍然存在。 |
62 | それはつまりは、日常の営みである。 | 確實存在,還沒有死去。 |
63 | 日々の生活をとりあえず過ごせる。 | 在這裡我們找不到希望嗎? |
64 | それだけで幸せだと感じられるセンス。 | 原文得到Dr. |
65 | きっと幸福な人は、富裕層も貧困層も、そういうセンスをもっているはずである。 | Kei本人許可之節錄轉載 |
66 | 不幸な人は、富裕層も貧困層も、生きていられることの幸福を感じられていない(感じるのは「不足」と「欠如」と「劣等感」)。 | |
67 | そういうセンスは、学校では教育できない。 | 小註 |
68 | 家庭での問題であり、身近なところでの問題である。 この世に今、存在している。 | 1. [中略] 均同原文(原文為節錄) |
69 | 存在していられる。 まだ、死んでいない。 | 2. 本文中連結原則上直接使用日文原文的連結,若有中文版網頁則改用中文版 |
70 | そこに希望が見出せないだろうか。 | 譯者:ynw |
71 | 本記事は、Dr. Keiのブログの一部を本人の許可を得て転載しています。 | 校對:FenFen |