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1 | 日本:「ソーシャルメディアがもつ光と闇」 | 日本:「社會媒體的光與暗」 |
2 | このポストはグローバル・ボイス2011年東日本大震災特集の一部です。 | |
3 | 緊迫した状況下で、うわさが氾濫するのは人間の常であるが、ソーシャルメディアツールは、その状況をさらに深刻にさせる諸刃の剣となり得る。 | |
4 | 長谷川恭久氏は、自身のブログの「ソーシャルメディアがもつ光と闇」という記事において、ソーシャルメディアの使われ方と、マスメディアを消費することを比較し、分析している。 | |
5 | 長谷川氏は、東京で活動する広く知られたウェブデザイナー・開発者であり、コンサルティング業務も行っている。 | |
6 | 彼は@yhassyというアカウントでツイッターもしており、日本語でつぶやいている。 | |
7 | クリエイティブ・コモンズのライセンス(CC BY-NC-SA 2.1)に基づき、以下に記事すべてを引用する。 | |
8 | 今年のはじめに起こったエジプトの革命。 そこではソーシャルメディアが活躍し、今まで以上に社会活動にソーシャルメディアを活用しようという声が高まった印象がある(遡れば 2004 年のハワード米上院議員の例があるが、日本で紹介したときはほとんど誰も注目しなかったが)。 | 在高壓之下,傳聞盛行其實是人的天性,社會媒體快速傳播的特點,這時也可能成為雙面刃,長谷川恭久(Yasuhisa Hasegawa)是東京知名網路設計師、程式設計師、顧問,平常使用@yhassy為Twitter帳號,他在「社會媒體的光與暗」一文中,比較社會媒體使用情況與大眾媒體消費情況。 |
9 | エジプトの件ではソーシャルメディアの底力・有用性が絶賛されたわけだが、私はそのときに「次に何か社会的な変動が起こったときにソーシャルメディアの闇もみえてくるだろう」と感じた。 | |
10 | 私がへそ曲がりだからなのかもしれないが、まぁそれはそれで。 今回の東北関東大震災で、私はソーシャルメディアに助けられた点は幾つかある。 | 以下依據創用CC BY-NC-SA 2.1授權翻譯全文。 |
11 | 携帯電話サービスがすべて機能しない中、ソーシャルメディアが情報のライフラインとなり、家族や友と連絡をとることができた。 被災地にはいないから出来た贅沢であることは承知だが、情報がまったくないという状況はほぼなかったといえるだろう。 | 今年初埃及革命期間,社會媒體扮演重要角色,讓現今人們進行公共/社會運動時,更加倚重社會媒體。 |
12 | こうしたソーシャルメディアの『光』と同時に今回は『闇』も幾つか見た。 | |
13 | 恐らくエジプトでもあったことなのかもしれないが、日本語ということもありそれが明るみになったのかもしれない。 多くの人はソーシャルメディアのもつ『社会性』をまだ実感していないように思える。 | 各界對社會媒體在埃及的力量與功能讚不絕口,讓我開始思考,「下次若再出現重大社會改變,我們可能就會開始看到社會媒體的陰暗面」,這原本只是因為我喜歡扮黑臉,但事實證明… |
14 | 私たちは Web が登場したことにより、今まで以上に膨大な情報を手軽に入手できるようになった。 | |
15 | それと同時に入手できるのと同じくらい手軽に情報も発信が出来るのが現在である。 もう何も書く必要はない。 | 在日本東北關東大地震期間,社會媒體給予種種協助,手機完全斷訊之際,社會媒體成為資訊所繫,是人們與親友溝通唯一管道。 |
16 | ボタンひとつで多くの人に情報を発信出来るわけだから。 情報を消化する前に私たちは情報を拡散していないだろうか。 | 由於我不在災區,並不乏通訊工具,但許多人當時手邊完全沒有任何資訊。 |
17 | 信憑性を確かめる前に【拡散希望】という必要ないラベリングにより、思考が停止していないだろうか。 | 在災變之中,我同時觀察到社會媒體的「光明面」與「陰暗面」,埃及可能也有相同情形,但因為此次是日文訊息,讓這些現象浮現在我眼前。 |
18 | 賛同するしない関係なくソーシャルメディア上の妙な盛り上がり(お祭り)に参加していないだろうか。 | 許多人尚未意識到社會媒體的真正社會能力,網路發明之後,為我們的生活帶來龐大資訊,我們也同時擁有傳播資訊的能力,資訊獲取與發布同樣輕而易舉,人們已不需要提筆書寫,只需按鍵,許多人就能收到這些資訊。 |
19 | 社会性をもつということは、共通の土台に立ってある程度の責任を負いながら行動をすることであると考えている。 | 但請自問,我們是否在充分消化之前,就急著散播資訊? |
20 | ソーシャルメディアのように発信者と受信者の境目があやふやで、発信が受信並みに簡単なので、社会性をもつことは重要な視点ではないだろうか。 | 是否看到「請轉寄」字樣後,便形成心理障礙,因而遺忘查證事實? |
21 | 結局のところまだ多くの『ソーシャルメディアユーザー』は TV や雑誌などの情報を消費して、その情報で自分の価値観を作り出している人とそれほど変わらないということが明るみに出たという印象がある。 | |
22 | まだまだ受け身なのだ。 発信できるというこの大きな力を甘く見すぎているのかもしれない。 | 是否倉促加入社會媒體的陌生活動,卻未判斷自己是否同意這些言論? |
23 | ソーシャルメディアは人を繋げるためのひとつのプラットフォームである。 そのプラットフォームによる繋がりは感情を増幅させる。 | 既然擁有社交能力,集體行動時就必須負責任,使用社會媒體時,尤其需要擁有良好社交能力,否則在接收與發送訊息時,就可能產生歧義。 |
24 | 時にはポジティブなものだが、恐怖や嫌悪といったネガティブなものもある。 情報を吟味することを忘れ、受け身の状態で右から左へ情報を運んでいる人であれば増幅度はめまぐるしいものだろう。 | 整體而言,許多「社會媒體用戶」建立價值觀時,仍來自於電視及雜誌的資訊,人們依然消極,我們有能力分享資訊,但可能同時低估它的力量。 |
25 | 私は情報リテラシーが低い人はソーシャルメディアを使うべきではないといっているのではない。 たくさんの情報に触れ、人がどのように使っているのかを学び、自分自身で模索しなければ使いこなすことなんて出来ないと思う。 | 社會媒體這種平台讓人們彼此串連,用戶之間的強烈聯繫,可能會放大情緒,效果有正有反,包括恐懼與仇恨在內,人們若消極接受資訊,再轉寄給他人,未經任何查證程序,放大效應會更強。 |
26 | 先述したようにソーシャルメディアには光がたくさんあるわけだから、使わないほうが損である。 しかし、私たちは改めて情報を発信していることを意識するべきだろうし、受信する際も何でも鵜呑みにならないよう心がけたい。 | 這不代表資訊識讀力低的民眾不該使用社會媒體,唯有接觸多種資訊、學習他人如何使用資訊、不斷嘗試,人們才能懂得如何充份運用社會媒體,如上所述,社會媒體釋放大量光輝,我們不可能放棄。 |
27 | ボタンひとつで何も考えずに情報発信が出来てしまう今だからこそ、こうした意識をもつことが大切ではないだろうか。 それがソーシャルメディアを闇にしないための第一歩だと考えている。 | 不過對於發送資訊給他人,我們必須有所警覺,也提醒自己以批判眼光看待所獲資訊,使用社會媒體時,這種態度很重要,尤其在此時此刻,資訊只需按一個鍵即可共享,我認為這是避免社會媒體進入黑暗期的第一步。 |
28 | Flickr上に掲載されたNancy White作のソーシャルメディアの画像 (CC BY-NC-SA 2.0) | |
29 | この記事は Facebook グループにて先行配信したもの。 グループのほうでは既に幾つかの指摘や意見が出ています。 | 全球社會媒體,圖片來自Flickr用戶Nancy White,依據創用CC BY-NC-SA 2.0授權使用 |
30 | コメントに中にモバツイの例が挙がっていました。 | 後記 |
31 | モバツイはここ数日の間に公式 RT をディフォルトで行えるように調整したり、少しでも早く表示するための工夫が幾つかなされたそうです。 日本ユーザの間では公式と非公式RTという分かり難いルールが一般化されていることもあるので、こうした調整がシステム・デザイン面でなされているのは素晴らしいですね。 | 本文原載於一個Facebook群組,有些讀者已指出錯誤並留言回應,其中一則特別提到Movatwi這項網路程式,讓沒有智慧型手機的用戶,也能透過手 機使用Twitter功能;震災發生後幾天,該程式大幅改進,例如納入網站的轉載鍵、瀏覽速度加快,這些系統與設計調整頗受好評,因為日本用戶對於正式及 非正式轉載的原則並不符合使用直覺,人類行為要更改不易,但服務功能可以彌補。 |
32 | 人の行動はなかなか変わらないわけですから、それをサービスとして補助している印象があります。 Twitter も Facebook もそうですが、情報発信をボタンひとつという最小限にまでに絞り込まれているのは果たして良いのか悪いのか分からなくなるときがありますね。 | Twitter、Facebook等服務讓資訊只需一個按鍵即可分享,我有時會反思,簡化程序究竟是好或壞,使用便捷能吸引用戶,但同時也讓人忘卻隨寄送資訊所產生的責任感,此類平台勢必讓眾聲更加喧嘩,故民眾需要思索如何改變接收資訊的方式。 |
33 | この敷居の低さがたくさんの利用者を魅了していると同時に、「情報を発信する」という重さを感じなくなるという課題もあります。 | 相關文章: |
34 | ノイズが増えるのはこうしたプラットフォームの宿命とはいえ、受け取る本人が受け止め方の変化が問われるのかもしれません。 | 感謝Aki Takamoto與Naoki Matsuyama協助英譯 |