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1コミュニティラジオがつなげる 難民のストーリー日本:災害與廣播節目為難民博得版面
2ラジオ番組で司会を務めるそ宗田勝也さん。 京都のコミュニティ放送局ラジオカフェにて。(廣播主持人宗田勝也 (Soda Katsuya)對聽眾說話,他所在的Radio Cafe是位於京都的社區廣播電台。
3掲載許可済み)照片經同意使用。
4「まあ、日本は違うからね。「你看,這裡不一樣啦。
5平和だし安全だもの。」 -世界中の様々な声を届けるグローバルボイスの活動について話していた私に、友達はそう言った。日本安全又和平多了。」
6グローバルボイスでは、世界各地のブロガーや翻訳者が、マスメディアでは取り上げられない声を発信していて、私の担当は日本に関するそういった記事を英語で書いて世界に発信することだ。我的朋友說。
7ブログの世界も所変わればで、情勢の安定しない国では政治デモや権利についての切なる訴えの声が目につく一方、自分たちの住む日本ともなれば、時事ネタは日常的に話題入りしにくい。當時我正向她介紹全球之聲的構想:傾聽世界另一端的故事,因為「世界正在發聲」。
8彼女はこう続けた-「日本では、波風立てずに普通にしていたら安心して暮らせるから、自分の意見を主張したりする必要がないのよ」 そうかもしれない。她接著說:「這兒的人幾乎不需要表達任何意見或觀點,尤其你只要跟隨社會規範,生活就會受到保障。」
9そして日本では、他国で起きていることをあまり気にしない。某方面來講她說得沒錯,日本居民不大需要關心外頭發生的事。
10テレビニュースも、そういった人々の関心をよく反映しているようだ。 NHKのニュース番組についてある研究者がモニタリングしたところ、国際報道はものの7パーセントだったという。新聞頭條也反映了這種情況,在公開播出的晚間新聞當中,國際新聞只占了總量的7%。
11アフリカ大陸に関する報道なんて、全体の0.7パーセント。 3か月に放送されたうちのたった2分だ。一名研究者監看新聞節目超過三個月,發現總計只有兩分鐘,亦即全數時間的0.
12他所がどうであっても、日本には関係ない。7%,是用來報導非洲大陸的相關動態。
13ただし、北朝鮮が核実験をするとか、超大国-アメリカ-に何かあれば、話は別だ。島嶼外發生的事多半與日本無關緊要,除非北韓試放核武,或強權美國發生了重大情事。
14ほら、知らぬが仏だと言うじゃないか。人們都說,無知就是福。
15その逆で、世界に対して無関心では、日本が悪くなってしまうと考える人たちもいる。 難民について情報発信しようと市民参加型のラジオ局で番組を始めた宗田勝也さんは、そんなひとりだ。有位日本市民為此感到汗顏,那就是宗田勝也,他相信公眾對世界議題的漠不關心正在使日本衰頹。
16彼は2004年2月、京都のコミュニティFM「京都三条ラジオカフェ」で難民について扱うラジオ番組「難民ナウ!」2004年2月,勝也開辦了著眼於難民議題的廣播節目「難民Now!」(
17をスタートさせた。 京ことば交じりに番組はこう始まる-「難民ナウ!難民ナウ!),透過京都的社區廣播電台對外播放。
18のお時間です。 難民問題を天気予報のように、をコンセプトにお届けしている難民ナウ!節目開頭,勝也以京都味兒的方言說出開場白:「又是時候來聽難民Now!
19本日は、私宗田勝也が担当します・・・」本節目報導難民議題一如氣象報導。」
20インターネットやソーシャルメディアが人々の表現の場となる以前、ミニFMや、コミュニティラジオは情報発信をする、他にはないメディアだった。網路與社群媒體成為大眾意見的發表空間之前,低頻FM廣播和社區電台是唯一的媒介,能讓人在京都這種傳統古城對外放送難民議題。
21特に京都という古き良き町で、難民問題について発信するにはうってつけだった。「當時網路資訊的可信度還沒有現在這麼高」,勝也說道。「
22当時を振り返り、宗田さんはこう話す。「我認為用一種大家熟悉的媒介提供資訊,這點相當重要。
23当時、インターネット上の情報は今よりも信頼度が低かったと思います。 そこで、誰かから承認されているメディアを通して発信する必要があると考えました。社區電台的普及率比較小,但卻是可信賴的媒體,因為用來傳遞訊息的電波是受法律管控的。」
24コミュニティラジオは小さなメディアですが、法律のもとで電波の利用が認められている点で、信頼度が高いと考えました。」勝也創設「難民Now!」
25宗田さんは難民ナウ! を通じて、周りの日本の人々に難民問題について関心を持ってもらおうと、番組を始めた。指望藉由報導難民相關新聞,讓難民議題得到日本同胞關注。
26きっかけは、国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの著書を読んだことだった。 「難民問題は持続的に関わる必要があること、メディアが重要な役割を果たすことが、(同書では)指摘されていました。在讀過前聯合國難民署高級專員緒方貞子( Sadako Ogata)的著作後,他便受到啟發而創辦節目。「
27『持続的』・『メディア』を考えたとき、『天気予報』という言葉が浮かびました。這本書闡述了媒體角色與穩定關係的重要,天氣預報這主意因此浮上我的腦海」,勝也說道。「
28そこから小さなメディアでも『難民問題を天気予報のように』繰り返して放送する番組を作ろうと思いました。」我決定開辦一個廣播節目,像播報天氣一樣持續報導難民議題。」
29と宗田さんは話す。 2004年に番組を始めて以来、宗田さんは難民をテーマに500人以上をインタビューしてきた。自節目開播以來,勝也針對難民議題訪問超過5百人。
30番組は土曜日に6分間放送されている。六分鐘節目每星期六播出。
31「難民」という言葉が新聞の見出しをかざることは稀である。 というのも、日本にとって難民問題は疎遠であり、日本が1年に受け入れている難民の人数は50に満たない(2010年の受け入れ者数は39人だった)。難民一詞──日文同樣稱作「難民」(Nammin)──不常出現在日本新聞頭條。
32平和で安全な国かつ、UNHCRへの資金提供は世界第二位[en]であることに比べ、難民の受け入れは少なく、それゆえ、難民への関心も低い。雖然對於聯合國難民署的財政經援是世界第二高,但日本每年收容的難民少於50人(2010年收容了39人)。
33難民申請者の中には、強制送還や拘留[en]といった困難[en]に見舞われる者もいる。對一個安全和平的島國來說,這數字少得驚人。
34日本人にとって、難民問題は「まさに『遠くの悲しみ』と言えるのではないでしょうか」と宗田さんは言う。「部分尋求政治庇護的人士甚至在日本遭遇困境,像是受到拘留或驅逐出境。
35ただ距離が遠いだけでなく、自分たちの生活からは遠い存在。對日本而言,難民問題僅在世界貧困的那一側上演。「
36それは、『自分たちは絶対に難民にはならない』と信じることができた点で圧倒的に第三者であったことと密接につながっていると思います。」就像是種遠方的哀愁」,克也說,「不只是地理上距離遙遠,心理感知也很遙遠。
37難民ナウ!人們相信自己絕對不會淪為難民。」
38のミッションは、「世界の全ての子どもが安心して自分の家で眠れる日」だが、それはあくまで、アフリカやアフガニスタン、ビルマ(ミャンマー)など、難民が多く発生している地を思ってのことだった。
39ところが、3.11の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の後、宗田さんは日本の子どもたちが安心して自分の家で眠れるか心配になったという。難民Now!
40震災は、12万6583戸の家屋を倒壊し、福島県だけでも16万人[en]が自宅から避難した。挑起使命想確保「世界上所有孩子都能在家中安睡」,首要指的是某些特定國家如非洲、阿富汗、緬甸,這些主要的難民發源地。
41うち10万人は今も福島県内の仮設住宅に住み、6万人は日本各地に散らばった。然而受到日本2011年3月地震災情影響,隨後福島第一核電廠又發生事故,勝也亦開始關注起日本的孩童。
42震災当初、宗田さんは津波の被害を受けた沿岸部で臨時災害ラジオ局の立ち上げに参加していたという。震災毀壞近126,583棟建築。
43しかし、2013年4月19日に文部科学省が子どもの年間被ばく限度量を20ミリシーベルトに引き上げると、政府方針が危険をもたらさないか懸念するようになり、宗田さんは福島から避難した人たちとの連携を模索するようになった。而單是在福島縣,就有16萬人被迫遷離家園,當中有10萬人現在仍住在福島縣內的臨時房屋,餘下的6萬人則散居日本各地。
44そうするうちに、宗田さんは原発事故と、難民問題とが重なる部分があることに気付く。 「とくに、福島や関東で放射線量の高い場所から避難している方々と接して感じるようになったことがあります。地震過後,勝也加入民間團隊,在受災區成立臨時電台提供緊急情報。
45避難の原因である原発事故の原因、すなわち、原発設置の過程は『暴力』による強制的な移動の側面があるということです。日本政府將兒童的輻射暴露限制量從1毫西弗調整成20毫西弗之後,許多日本人揣測國家領導者是否讓民眾置身風險當中,勝也於是開始積極與福島撤離的民眾交流。
46なぜなら、原発の設置は、周縁化された土地で進められた自国内での植民地政策であり、植民地主義は、構造的暴力の一つの形態だからです。「我和那些從高輻射汙染區撤離的人交談」,勝也說,「慢慢開始看出福島災民與難民之間的相似處;他們兩者都受害於結構性暴力。
47難民は、迫害という直接的な暴力が要件になりますが、暴力という点でみれば、共通点があると考えています。人民必須撤出他們在福島縣的家園,因為那兒發生了核災。
48難民のもう一つの要件である国境を越えているかどうか、という点では違いがありますが、共通する点の方がより重要だと思います。」 10年にも及んで宗田さんは難民問題をラジオで伝えてきた。建造核能發電廠的行為,就像在國家內部實施殖民,邊緣弱勢的群體非接受不可。」
49家を追われることが日本人にとっても身近なものとなってしまった震災以降[en]、誰もが潜在的に難民になりうるという意識が、日本社会と難民問題の困難とをつなぐ新たな窓となるのかもしれない。 難民ナウ!對於日本民眾來說,2011年的大震災和福島事件將難民議題拉近至家門前,勝也從事了將近十年的工作,如今產生了效果且聲勢大張。
50は京都にあるコミュニティ放送局「京都三条ラジオカフェ」にて放送されており、サイトからも視聴可能です。 宗田勝也さんの活動は著書、「誰もが難民になりうる時代に: 福島とつながる京都発コミュニティラジオの問いかけ」にて詳しく書かれています。原文作者 Keiko Tanaka 熱衷參與日本公民媒體,關切數位協作、廣播與青少年文化。
51Keiko Tanakaは、エディターとしてグローバルボイスで日本に関する記事を執筆しています。譯者:Jessie Han
52くわしくはこちら[en]校對:Josephine Liu