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1 | プエルトリコ:政治化しつつあるセックスイッシュー | |
2 | プエルトリコには、ここに取り上げたように、フェミニズム、生殖の権利、ゲイ同士の結婚という問題に真正面から取り組んでいるブロガーが何人かいる。 | |
3 | ゲイ同士の結婚がプエルトリコで議論されるようになった。 | 波多黎各:性政治 |
4 | ここプエルトリコでは、Alliance Defense Fundのような妊娠中絶やゲイ同士の結婚に反対する米国の原理主義者の支援を受けたキリスト教団体が、結婚を男女間の婚姻に限るとする憲法改定を求めている。 | |
5 | Cargas y Descargasでブログを開設しているEdwin Va'zquezは、この憲法改定は「共に生活するホモセクシュアルやヘテロセクシュアルへの迫害が正当化される」のではないかと危惧する。「 | |
6 | プエルトリコの宗教裁判」[es]というタイトルの投稿で、彼はAlliance Defense Fundがたくさんの市民権を迫害していることを指摘し、こう書いている: | |
7 | 一線ははっきりしていて、中立を主張する余地はない。 | |
8 | 僕たちの権利を守るために闘おう。 外の人間に僕たちの憲法を変えさせてはだめだ。 | 在本次的綜合報導中,波多黎各部落客關注女性主義、生育權與同性戀婚姻等議題。 |
9 | それがプエルトリコにいる僕たちの将来になるのだから。 議員の大半はあの頭が古いやつらに賛成している。 | 近來同性戀能否結婚的話題在波多黎各發燒,基督教團體與Alliance Defense Fund等美國反墮胎及反同志婚姻的強硬派團體合作,打算推動波多黎各憲法修正案,將婚姻限定為一男與一女之結合。 |
10 | 僕たちの権利は僕たちが守らなくては。 ニューヨーリカン(ニューヨーク+プエルトリコ)のブロガー、Mamita Malaは、『Juno』(結婚せずに妊娠した十代の少女を描いた映画)を観にいった。 | Cargas y Descargas部落格的Edwin Vázquez擔心,這項提案可能「讓人們合法迫害同居的同性戀者或異性戀者」,在名為「波多黎各宗教法庭」[西班牙文]的文章中,也指出這個美國基金會侵害多項人權,他表示: |
11 | 自身がシングルマザーである彼女自身は、思いがけない妊娠を描いた最近の映画には、中絶しないことがハッピーエンドにつながるものもあるという記事を思いだす。 | 我們不能讓外來者推翻我們自己的憲法,這正是波多黎各今日面對的場景,多數議員似乎都支持這些老頑固,我們有底限與原則不應漠視,要起身捍衛自己權力。 |
12 | Junoを見た後、最初、10歳の子どもに見せようと思ったわ。 でも、やめたの。 | 紐約兼波多黎各部落客Mamita Mala看過名叫Juno的電影,內容關於一名未婚懷孕的青少女,她在一篇文章中回顧,近期好幾部電影都提醒人們,單親媽媽意外懷孕縱然沒有墮胎,同樣也能擁有美好生活: |
13 | 私は娘とセックスや妊娠、避妊については率直に話したわ。 でも中絶についてはしてないの。 | 本來看過Juno之後,我打算帶我的十歲女兒也去看,但後來我突然間遲疑了,我女兒和我曾坦然討論性、懷孕與避孕,但未曾提及墮胎,我準備好觸及這個話題了嗎? |
14 | もうその話をしてもいい頃かしら? ねぇ、ママ。 | 媽,什麼是墮胎? |
15 | 中絶って何? | 你有墮胎過嗎? |
16 | したことある? あーそうねぇ。 | 嗯,其實我曾經考慮把你墮胎拿掉。 |
17 | あなたを堕ろそうかと思ったわ。 もちろん、私ならそんなことは言わないわ。 | 我當然永遠都不會這麼說,至少不會說得那麼直接殘忍,但我究竟在這個話題上,希望我女兒獲得什麼訊息? |
18 | 少なくとも、そんなきつい言い方ではね。 | 特別是身為有色人種女性,墮胎愈來愈不容易,尤其現代文化既將年輕女性在性愛中物化,卻又同時期望女性堅守貞節。 |
19 | いずれにしても、私はそういう問題について娘に何を伝えたいのかしら? 特に、中絶手術を受けにくくなった時代だし。 | Tinta Digital部落格中,Eugenio Martínez Rodríguez思考[西班牙文],究竟波多黎各新型態的女性主義要追求的目標,是否已不再是男女平等,而是女尊男卑? |
20 | 有色人種の若い女の子なら余計にそう。 若い女の子を一気にやるセックスの対象だとみるような社会だし。 | 可不可能出現「反大女人主義運動」,但同時又不阻止女性爭取平權?「 |
21 | そう言いつつも、レゲトンではひざを組むのが当然だなんていうくせに。 | 我們還有什麼其他作法? |
22 | Eugenio Marti'nez Rodri'guezは、ブログTinta Digitalで、プエルトリコの一連の新しいフェミニズムは実際のところ、女性のほうが優位であるという議論よりも、女性も平等であるという議論のほうが少ないのではなかろうかと疑問を投げかけている。 | |
23 | 彼は、女性は平等の権利を持つべきではないということをにおわせずに、この女性版「男っぽさ」に反対する運動はありうるだろうかと問う。「 | |
24 | 第三の運動は何だろうか? | 還是該什麼都不做呢?」 |
25 | 何もしないことか?」 | 校對:Portnoy |